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ネーミング・・・・

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今日も、播種作業の準備である。(写真は育苗土の搬入・・・説明は後日に)
今朝、農機具店に部品を注文しようと思って電話をかけた・・・RRRR?・・・出ない
あちゃ~ぁ 今日は日曜日だぁ~。
この時期、百姓に曜日感覚は無くなる(^^;

いったい? 収穫までの間にいくつの作業があるのだろう?
百姓の百の字は、作業の数が語源かなぁ~?・・・・そんな事を考えて

3月に草薙デザインさんで見せてもらった「百笑粋田」(酒)・・・
昨年11月に お会いした大島さんの「百笑米」(ミルキー米)・・・
なかなか良い ネーミングだなぁ~と感心したことを思い出した。

草薙さんのところでも、「百姓」の語源の話しになって、差別用語の
イメージがあることも・・・・思い出した。
そこで、ネットで調べてみた(^^)
思いつけば、すぐに調べられる・・・今のネットは便利だ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%A7%93#.E6.97.A5.E6.9C.AC

中国での百姓の語は「天下万民・民衆一般」を指す意味・・・民衆を意味する百姓は、『論語』・『易』など戦国時代_(中国)に現在の形に編集されたと推定される書物から、頻見される。その後、今日まで意味が大きく変化することはなく、現在中国でも老百姓といえば、一般庶民のことを指す。
日本においては当初は中国と同じ天下万民を指す語であった・・・・
以下に日本における百姓像の変遷を記す・・・
(古代・中世・近世を略します)~現代的百姓観の形成と変遷

戦後社会では百姓を農業に従事する者に対する差別的な呼称であると捉える傾向が生じ、このため農業従事者が「百姓」と自称する場合を除き、マスコミなどでは「百姓」という表現を控える事が多い。歴史を取り扱ったテレビ番組で本来の意味での百姓身分を指す場合ですら「農民」という言葉に置き換えることが通例である。
近年、歴史学者の網野善彦が中世社会、近世社会における百姓身分に属する者たちが農民、山民、漁民、職人、商人などの広範な生業の従事者であったことを明らかにし、「百姓=農民」と一概にまとめた従来の歴史観に対し批判を行った。さらに今日の歴史学では西欧中心の単線的な発展段階史観が強く批判されるようになった。そのため百姓が差別的な用語であるという認識は薄まってきている。
また現実の農業従事者は必ずしも百姓という呼称を差別的だととらえているとは限らず、むしろ一部の篤農家は自らを誇ってあえて百姓と自称する向きも見られる。こうした篤農家には歴史的百姓層が自らさまざまな生業を兼ね、またモノカルチャー化を避けて多様な農作物を栽培したことの復権にアイデンティティーをおく者もいる。彼らは生業や農作物の多様性に「百姓」の「百」の字義を投影し、しばしばこうした多様性を持った農業を行う者こそが「百姓」であると定義する

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ううぅぅ~ん (^^) なるほどねぇ~ 
私は、篤農家では無いけれど、自らを百姓と名乗りたくなるときがある。
でも、他人に云われると・・・・ 確かに むかつく(^^;
はははっ 歴史がそうさせるのねぇ~ なるほどねぇ~

百の作業が語源で無かったのが 少し残念(^^;

コメント (3)

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2007年04月08日 11:18に投稿されたエントリーのページです。

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